"佐賀" はじめます。上海から移住。
はじめまして、Have a nice coffeeの野村です。
ずっと住みたかった場所、佐賀へ移住してきました!
好きな場所で仕事を生み暮らすこと。
より自由な生き方の追求は、いくつ歳を重ねてもオモシロイもの。
一度きりの人生、誰といて、何に時間を費やし、どんなことに心を踊らせるのか。
天山頂上から佐賀平野を見渡し、理想に一歩踏み出した自分をまずは褒めてあげたい(笑)とはいえ、ここまでくるのに数年かかりました。振り返れば必然だったと気づくことも、渦中では気づけないもので、将来どうしていきたいのかがわからない、そんな不安に悩んでいた時期があったんです。少し昔話をさせてください。
25歳で独立
2003年9月の上海旅行、まだ暑さの残る時期。現地の活気に鳥肌が立ちました。超高層ビルと北京ビキニ。街も人も刺激的で光と影が入り混じる混沌としたエネルギー。資本主義経済の中心として世界中から将来を期待されていた街、それが当時の上海でした。
「この街に住んでみたい」
1ヶ月半後に兄の部屋へ段ボールを3つ送り上海生活開始。その半年後、現地会社(上海愛儂蘭貿易有限公司)を設立。一人自転車で始めた宅配事業は、現地ルールに泣かされながらも、翌年に先輩経営者をビジネスパートナーに迎え旧日本人租界地に店舗開業。
応援してくれるお客様も増え、明るいスタッフにも恵まれ会社は順風満帆。でも長続きはしませんでした。
得たもの。そして、失ったもの
欲望は強い原動力でした。勝てば欲しいものや良い生活が得られました。
が、一時の満足感だけで心は渇いていきました。
「結婚したつもりで一緒に事業をやっていこう」
昔は何時間も理想を語り合ったビジネスパートナーともすれ違いが増えていきました。理想と現実の乖離、「夢の達成=幸せ」そう信じてむしゃらに走り辿り着いた先は、孤独で寂しい場所でした。
モヤモヤした感情のまま日本出張へ。そんなときに出会ったのが佐賀バルーンフェスタでした。嘉瀬川の河川敷で見た一斉離陸のバルーン。周りはまだ薄暗く空気も冷たい朝の時間。太陽の光が差してくる中で静かに響くモーリス・ラヴェルのボレロ。みんなが一様に空を眺めながら、手を振る人、声をかける人、じっと見守る人、心を奪われる人。
「世界(ザ・ワールド)!」
時間が止まったかのような錯覚、空一面に広がる幻想的な絵。終わりなき競争の螺旋に疲弊し渇いていた心が癒やされていくような感覚でした。
「このままではいけない…」
そう強く感じたことから、これまでの自分の人生の棚卸しを始めました。

何を大事にしていきたいのか
あれから数年、佐賀バルーンフェスタへ足を運ぶたびに「いつか佐賀に住んでみたい」そう強く感じました。地位、名誉、お金のような旧時代的な競争社会の価値観ではなく、人との繋がりや自由な時間を持つこと。家庭を持ち子育てをして、やりがいのある仕事をして、共感できる仲間と長く付き合い、自分や周りを大切にできる時間を過ごしたい。
やりたいことを見つけるのは人生で一番大事なこと。でも、重要なのは「何になるか」ではなく「何が好きで、何を大事にしていきたいのか」。大事なものを見失って悩み続けてきた5年間、出口のわからない暗くトンネルの先に小さな光を見つけたようでした。
一本の電話、第2の人生
上海10年目を迎える頃、福岡で新事業を立ち上げることになりました。新会社の設立準備にプレゼン資料の作成、事務所探しの合間を見つけては車で山を越えて佐賀へ。そしてまた上海へ。
上海ー福岡ー佐賀を動きながら、佐賀移住への本格的なタイミングを探していました。初めての土地での物件探しは右も左もわからず苦戦しました。人脈もない、土地勘もない、お金もかけられない中、何回も、何件も、不動産屋へ足を運びました。
そしてある日、一本の電話から佐賀市鍋島町の卸団地の一角にある築40年の古倉庫物件に出会いました。お世辞にもキレイとは言えない物件で、申し訳なさそうな担当者の横で、「よし、ここだな」とワクワクした気分でいっぱいでした。
自分らしい生き方と働き方の選択
2014年3月
佐賀にこんな場所があるなら行ってみたい!大人の秘密基地のような珈琲焙煎所は、佐賀市鍋島町(卸団地内)にある築40年古倉庫をセルフリノベーション。暮らしを良くするため、今少しだけ、立ち止まってみる。そんな想いを「Have a nice coffee(おいしいコーヒーをどうぞ)」に込めて活動を始めました。
2015年
コーヒー直売日(毎週金曜日のみ)の週1だけの営業を開始。
2018年
コーヒー直売日(毎週金曜日と土曜日のみ)の週2だけの営業を開始。田んぼを始めました。
2019年
焙煎所内改装。
第一子誕生。子育てや働き方についての価値観を妻と考える家族会議を始めました。
2021年10月
>>> Youtubeにて動画配信【築40年倉庫で珈琲焙煎所】
2022年
第二子誕生。二児の父として、子育てと働き方のちょうど良いバランスをリアル検証中。
妻の出産後の身体的ダメージや体調、二児の子育てに慣れる期間として、1~2年は増やすよりも減らす働き方へ。
SDGs持続可能な社会実現のために、品質管理、環境保全への体制を見直し、廃棄していた焙煎後72時間のコーヒーを割引価格で販売スタート。
>>> 訳あり珈琲豆の販売

「普通の珈琲店じゃない…」
Have a nice coffeeでは、「自分らしく生きていきたい」そんな人のために、コーヒーと25年以上(大阪5年、上海10年、佐賀10年)向き合ってきた経験をもとに、暮らしに役立つコーヒーの知恵や楽しみ方、ときには、人生を変えてしまうきっかけになるお話や体験などをお伝えしています。
私にとってのコーヒーとは、「生き方」です。人生に転機を生み、日本でも海外でも暮らしの根本を支えてくれました。会社経営や店舗運営、焙煎機制作、珈琲農園、領事館、被災地支援、大手企業または個人支援など、多様な活動がコーヒーを起点に生まれました。
移住した場所でも、自分を知ってもらうためのツールであり、人との繋がりを生んでくれるものでした。それだけ私にとってのコーヒーは、切っても切り離せない影響力の大きな存在です。
当たり前ですが、ただコーヒーを飲んでいるだけでは、コーヒーが人生に及ぼす影響はさほど大きくありません。それはコーヒーに限らず、どのような商品やサービスであっても同じです。
Have a nice coffeeが目指しているのは、コーヒーを通して暮らしを豊かにすること。例えば、あなたがあなたらしく生きられることであり、あなたのやりたいことが場所や時間に制約されずに実現できることです。
あなたにも、きっと理想の生き方がありますよね?
もし進む道に迷っているなら、一緒に悩み、課題を考え、解決策を見出し、達成させていく。これが、Have a nice coffeeとして実現させていきたいことです。
もしここまで読んで何か感じてもらえるなら、ぜひHave a nice coffeeに来てください。コーヒーを飲みながら雑談でもしましょう。もしかしたら、その一杯のコーヒーが人生を変えるきっかけになるかもしれませんよ。
経歴
1978年愛知県生まれ。
高校卒業後大阪へ。大阪の服飾専門学校を1年で辞め、イッセイミヤケ、日本料理、老舗珈琲専門店を経て、2003年、上海へ渡り独立。
会社設立後、自転車一台からコーヒー事業を開始。虹口区の旧日本人租界地に焙煎所兼喫茶、古北新区の日本人街に隠れ家マクロビカフェをオープン。その他、オリジナル焙煎機制作や上海英国領事館のブレンド作り、雲南省のコーヒー農園のクオリティアドバイザー、企業コンサルティング、独立開業支援、焙煎や抽出の技術指導を300人以上に提供。クライアントの店舗では、中国最大の口コミサイト大衆点評において有名珈琲専門店を押さえ1位(虹橋区/古北区/蜂蜜屋)を獲得。2011年3月の東日本大震災では、上海日本人学校と被災地支援を企画。上海日本人学校の生徒たち約1200人と厳しい環境下でも安らぎを持ってもらえるように手書き応援メッセージ付コーヒー2000袋を、福島県・宮城県の自治体と協力し直接手渡しで仮設住宅13ヶ所へ送り届ける(東北三陸新聞に掲載)。2012年には重電大手の中国市場向けプロジェクトにアドバイザーとして参画。2013年福岡で新会社設立。その後、佐賀へ移住。
20年以上コーヒーを使い生きてきた経験から、現在は、コーヒーの品質追求だけでなく、コーヒーの外側の世界である時間、空間、感情に重きを置いた「コーヒーと余白と暮らし」を日々伝えている。
・メディア
東海テレビ「感動!オレごはん」2006年11月
関西テレビ「よ〜いドン!500回記念スペシャル となりの人間国宝さん」 2010年6月
日本経済新聞/朝日新聞/東北三陸新聞/KBCラジオ/株式会社チャイナコンシェルジュ/しんせん館マガジンFor/SuperCity plus/上海月刊エッセンス/中国生活情報サイトちゃいなび/ちゃいなびワークス/CHAMORE/上海ジャピオン/上海Jブリッジ/上海フーイズム
・セミナー、ワークショップ
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